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- iPadとiPhoneのテイストの中にある絶対性 - アンカテ (via irregular-expression)
2010-02-01 (via gkojay) (via mnak) (via edieelee) (via zaiga) (via ipodstyle) (via yaruo) (via nobby0-0) (via sskhybrid) (via loopdrive) (via hsmt)
ジョブズという人は、気紛れな人ではなく我がままな人でもなく、ただ、原木から仁王を掘り出すという自分の仕事に忠実な人で、帳簿の検算が合うまで帰らない銀行員と同じような仕事をしていただけなのだ。
帳簿が合うまで部下を帰さない銀行員は真面目すぎるとは言われても「ワンマン」とは言われない。iPadがiPadになるまで部下の仕事を認めないジョブズが「ワンマン」と言われるのは何故かと考えると、ユーザ体験には帳簿のような絶対的な基準が存在しないと思われているからだろう。
帳簿上で縦横計が合わない計算を却下することと、あるべきユーザ体験に合わないコードを却下することは、本質的には同じことだ。
違うのは、デザインとかユーザ体験のようなものは全て、人の好みに依存するもの、主観的で相対的なもので、何ら絶対性を持つものではない、という誤った常識があることだろう。
帳簿のような明確な形で基準を言語化できないものの中にも、一種の絶対性はある。それはアートの領域では常識と言えることだし、良いテレビゲームもそれを追求する中で作られていると思うが、ビジネスの現場で、ソフトとハードとサービスがからまって構築されている製品のテイストの中に、日々変化する環境の中のダイナミックナプロセスの中に、そういう種類の絶対性を追求したことがジョブズの独創なのだ。
”- iPadとiPhoneのテイストの中にある絶対性 - アンカテ (via irregular-expression)
2010-02-01 (via gkojay) (via mnak) (via edieelee) (via zaiga) (via ipodstyle) (via yaruo) (via nobby0-0) (via sskhybrid) (via loopdrive) (via hsmt)