カンブリア宮殿 日本の医療に警告!北の大地の天才脳外科医
手術数 日本一。脳外科医。プライド、患者の人生。最後の砦、ネバーギブアップ。脳の病と闘い続ける男。絶対に諦めない。目の前の命は何としても救いたい。男は強い信念と歩み、これまで2万人以上の命を救ってきた。診察は患者1人に平均 1時間。納得するまでトコトン話す。憎むべき敵は、患者の命を脅かす巨大動脈瘤。難関手術もその手にかかれば。北の大地の天才外科医が登場。医療崩壊の危機を向かい合う。ミクロの脳手術を密着取材。命をつなぐ世界一の技術とは。
その医師は、これまでに数々の難手術を最高の技術で乗り越えてきた。一度講演会を開けば、その医師を目当ての大勢の人達が詰めかける。多くの医師達からも賞賛の声。「世界的にナンバーワン。右に出るものはいない」(東京労災病院 脳神経外科部長 氏家 弘 医師)、「日本のみならず世界で一番うまい」(藤田保健衛生大学 脳神経外科 佐野 公俊 名誉教授)。
その医師の名は、旭川赤十字病院 脳卒中センター長 上山 博康(かみやま ひろやす)脳外科医。医師歴38年。「脳の病 最後の砦」と呼ばれる医師。1ミリのずれも許されない、脳手術。その症例数は日本一。これまで2万人以上の人の命を救ってきた。最前線で戦う上山医師が、日本の医療に起こる本当の医療危機を警告する。
カンブリ File No.235 「脳の病 最後の砦」
上山医師がリーダーを勤める旭川赤十字病院 脳卒中センターは、脳の病気手術数393件で全国1位。1つ間違えれば死に直結する現場で、上山医師が手がけるのは。「脳動脈瘤回頭手術」だ。脳動脈瘤とは、脳の血管の二股に分かれている所が、膨らんで出来る瘤のこと。そのまま放置すると、やがて破裂して出血を起こし命を落とす。さらに脳には神経が張り巡らされているため、例え命を取り留めたとしても麻痺や失明など、後遺症が残ってしまう。大きさが5ミリ以上だと手術が必要だとされる。上山医師は、その動脈瘤の破裂を未然に防ぐ手術のスペシャリストだ。上山医師を訪ねる患者は、他の病院では治療困難と言われた難しいケースばかり。
命をつなぐ世界一の技術とは。
動脈瘤手術では、体の他の部分から予め採取した血管を使用師、動脈瘤のある箇所を迂回させる処置をすることで、動脈瘤の破裂を未然に防ぐことができる。髪の毛より細い手術用の針糸で、血管を縫合する作業は微細で神経をすり減らす。脳の血管の太さはおよそ2ミリ。この血管縫合技術こそ、上山医師が他の脳外科医達から世界一と認められるスーパーテクニックなのだ。患者の命を繋ぎ止めるための一針一針、一瞬の気の弛みも許されない。
インフォームド・コンセントの重要性。
全国から治療困難と診断された患者が訪れる。最初の診断の時は、相手のことを知らずに接する。だからくだらない話もする。そういうことをしながら患者がどういうひとか探っている。若い先生から「何でそんなことを外来で聞いているんですか?」と言われる。例えばお年寄りに子供時代にどんな苦労をしたのか話せば、生活環境や人生の環境が分かる。どの患者さんも人生を背負ってい生きている。100個の動脈瘤があれば100個の人生がある。その人生を把握したい。それとどういう考えで、ここに来ているのか。そういうことを探る意味もあって、どうしても話は長くなる。
僕は性格が偏っていて、何でも凝り性。フライフィッシュ(釣り)にハマっていて、アホみたいに熱中するタイプ。医者の経歴の中で、いつでも手術できる訳ではない。立場的に干される時もある。その時、ルーペを使って毛針に蚊の目を付けたらり、足を6本付けたりして、自分の手術の腕を落とさないようにしている。血管の深部を縛る「ダンカンループ・ノット」という方法があるが、毛針の縛り方を応用した方法だったりする。芸は身を助けるというが、そんな感じだ。
日本一の脳外科医 誕生ヒストリー
1960年代 高度経済成長期。街では車の交通量が増え、交通事故が多発した。しかし、医療の現場では、脳外科医の数が足りず、多くの命が失われていた。当時18歳だった上山医師は、そんな内容が書かれている記事を読んで思った。「救える命があるなら、自分が助けたい」と。上山医師は、北海道が医学医学部へ進み、迷わず脳神経外科へ。手術用の顕微鏡が導入され始めた時期で、元々機械いじりが好きだった上山医師は、この顕微鏡にハマる。病院に泊り込んで研究し、その病院で誰よりも詳しくなった。持って生まれた手先の器用さも手伝い、早いうちから手術を任されるようになる。そしていつしか、脳外科手術を600症例も行い、脳外科医として認められる存在になっていた。現在62歳の上山医師。その一日は…
病院への出勤は毎朝8時30分。この日は3件の手術が予定されていた。9時には準備を終え、一人目の動脈瘤の手術へ。3時間で手術終了。扉を出て休み無く向かった先は、別の手術室。立て続けに2人目の患者の手術が始まった。午後3時、ようやく昼食。15分後再び手術室へ。そこでは若手医師の手術の監修。その夜、午後8時半、その日手術した患者の家族に述語の説明をする。患者や患者の家族の笑顔を見る時が、1番の喜びを感じる。深夜になっても仕事は終わらない。午後9時30分、記憶がホットなうちに、自らが行った手術を正確に記録しておく。この蓄積が新たな手術法のアイデアになったり、後輩達の教育にも役立つ。そして、翌日に予定している手術の準備。全ての仕事を終え帰途についたのは、午前0時過ぎ。その頭の中は翌日の手術に切り替わっている。夜が明ければ、また命と向き合う1日が始まる。
上山医師の平均的な1週間のスケジュール。休みは移動時間などで。
月曜日 手術日
火曜日 外来日
水曜日 特別手術日
木曜日 手術日
金曜日 手術日
土曜日 出張手術日
日曜日 出張手術日
出張手術には、2つがある、1つは、地域の先生が手術を見たい時に教育で、もう1つは、患者さんが動けない時。出張手術のギャランティーは、最安値で3万円。大学病院等は決まりで旅費が出ない時もある。お金の額よりも影響力がある所は無料でも行く。報酬は相手がの言い値、一度も交渉したことはない。
勤務医の給料は安いのでは?
村上龍は、勤務医の給料を上げないといけないと思っている。救急、産科、小児科が崩壊したのは、時間外診療が多い。時間外が正統な報酬がもらえないと崩れていく。医療崩壊と言われる前に産科や小児科の先生もギリギリまで頑張ったとけど、持ちこたえれなかったのが現状だと思っている。医学生や研修医が訴えられることが怖くて、外科医になろうとしない。世界中で医療過誤などあったとしても、手錠をかけて連行して刑事事件になるのは日本だけ。医療過誤を起こさないようにするのは内部努力だけど、患者さんは結果が不幸になったら、やっぱり不幸。患者さんは、不幸になった婆愛、お金でしか償われない。保険制度自体の抜本絵的な問題になるかもしれないが、無過失保障制度が必要な可能性はある。
医療費問題
包括支払制度が、近い将来医療現場に突きつけられる可能性がある。簡単に説明すると、病気の治療費が予め一定額に決められている支払方法。高度医療が進むにつれ、高齢者の慢性疾患が増えれば、病院側の医療費も膨らむ。国としても医療費をどうすればいいかという中で、現在包括治療の話が出ている。この後ろには、現在歯科では導入されている「混合診療」という考えが絶対くる。これは、保険が利く治療や材料、そうでない治療や材料を混合させ、保険が利かないモノは自己負担となる。この場合、お金が支払える患者の場合のみ、治療が受けられるようなり、そうでない患者は、手術を治療を受けられなくなる。金持ちしか救えなくなってしまう。今回の医療崩壊を導いた直接的な引き金は、小泉・竹中による聖域なき構造改革で医療費を削ったことだと思っている。本当は聖域だった所を削ってしまったこと。当時の厚生省が「日本の医者は足りている」という間違った認識をしたこと。日本の医療を立て直すのなら、最低限命に関わる部分は憲法にあるように、保険制度なり、どうやって支払えるか、熟考が必要だと思っている。
上山 博康(かみやま ひろやす)脳外科医
旭川赤十字病院
カンブリア宮殿
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